公益財団法人 軽金属奨学会 設立60年史
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6設立60周年によせて京都大学名誉教授村上 陽太郎(軽金属奨学会特別顧問) 公益財団法人 軽金属奨学会が設立60周年を迎えられた。心よりお祝い申し上げたい。設立当初、小山田裕吉社長が、私の恩師西村秀雄先生に運営に就いて種々相談された。先生は丁度退官の時期であったので、評議員を引受けられ、私を理事に推薦して下さった。大阪大学からは松川達夫先生が理事になられたが、先生の専門は非鉄精錬であったので、草創期の事業内容等に就いては、川島浪夫さん(後の社長)、事務局の上谷琢之さんと私の3人が中心になって推進したので、当時を想起するとその感慨は一入である。60年の長きに渉って、歴代の理事長、事務局長を始め、役員の努力によって、わが国の軽金属学会及び軽金属業界に大きく寄与された事は明らかで、高く評価できる。 今須理事長さんから、「60周年史」を発行するから、若い諸君に励ましの一文を寄稿して欲しいと言うご依頼を頂いた。私は、1917年4月7日に生まれたので、数え年99才、白寿となっている。今の所身体に何処も悪い所はなく、心身共に健康である。外の仕事は、皆辞めたが、私が所長をしていた“ニューマテリアルセンター”から毎月発行されている“新素材・新技術”の欄に、A4版-1枚の解説文を、外国の学術誌より選んで書いているのが唯一の仕事である。英文を読む能力も少しも衰えていない。この様に心身共に、健康であるのは、これから書こうとする事の御蔭であると、思っている。 昭和の初めに、田舎の村の小学校から、町の旧制中学校に進学した。毎日、片道5km程の田舎道を、上級生、同級生と、数人で歩いて通学した。町へ入るまでは、人通りも全くなく、互いに色々話あって、楽しい通学であった。往復には、歩きながら、予習や復習ができて、都合がよっかった。5年問、一日も欠席せず、皆勤賞を頂若い諸君に─歩行の習慣を薦めるいた。小学校時代の弱かった体も、御蔭ですっかり丈夫になった。歩く事の楽しさが身に染込んだ様に思う。その後も折に触れて、歩く習慣が出来た。社会人になって、大変何かと忙しくなったが、健康に留意しなければと言う思いが出てきた。その頃から、朝の通勤に、二つ、三つ前の停留所で下車して、速歩で歩く事が効率的なことが判った。又家にいる時は、万歩計とストップウオッチをつけて、自宅の近傍を歩き回った。歩行の為には、適当な靴も重要である。四季折々の自然の風景を満喫する事は楽しい事で、無心でいられる。精神的にも良い。10年程前まで続けた。やめたのは、自転車が高速でとうり抜ける危険の為であったことが理由である。その後は、家に電動ベルト式の歩行器を購入し、毎朝、約30分の歩行を、欠かさず励行している。いまも、外出の際は、出来るだけ、歩くことに努めている。歩く事で、足、腰が鍛えられ、気分も爽快になる。歩くのには、適当な道が必要である。私の中学時代の田舎道は歩行には最適であった。今は、そんな道は無くなって、身近には、たぶん無いだろう。都会には、歩行に適当な道は、少なくなっている。出来るだけ適当な道を探さねばならない。舗装道路でも良い。 以上、私の歩行歴を書いた。誠に幸福な時代に生きた事を有難いと思っている。歩行が健康によい事は私の健康で長寿が実証している。歩行の方法も書いた。忙しい時代には、二つ三つ前のバス停で下車して、速歩で歩く事を薦めたい。今は、私の時代と違うかもしれない。しかし、歩こうと言う意思があれば、自分に適した方法が見つかるはずである。特に、若い時代から、歩行の習慣をつけて頂きたいと切に思っている。

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