公益財団法人 軽金属奨学会 設立60年史
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26第3章 財団の成長飛躍期どの教育機関や研究機関等に勤務する研究者の優秀な研究に対して、現在一人当たり年間15万円の研究資金を交付している。■奨学金制度がスター卜 1956年(昭和31年)、軽金属協会が社団法人に改組。東洋アルミニウムがアルミペーストを国産化した。同社では、それまでの常務制を社長制に改め、代表取締役社長に小山田裕吉が就任した。 この年の経済白書で「もはや戦後ではない」という言葉が使われたように、日本は急速な経済成長を遂げ、大量生産・大量消費の時代へと移っていった。テレビ・洗濯機・冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」が一般家庭に次々に普及し、これらの家電製品向けにアルミニウムの需要も急増した。同時期にアルミサッシの開発も進み、その後の建築向けアルミサッシ全盛時代の流れをかたちづくっている。 この年、軽金属奨学会では新規事業として、「奨学金」を新設した。軽金属界の人材育成のため、軽金属に関係する教育機関に在学する有為の学生に対して、特に必要と認めた場合に学費を支給するもので、社会・経済情勢の変化により平成7年に募集中止するまでに、述べ447名に対し、総額7千9百万円余を交付した。 1957年(昭和32年)、新規事業として海外交流補助金が新設された。当初は留学補助金として設定されたもので、その後、昭和58年に海外交流補助金と改称された。海外の研究集会において軽金属に関する研究発表、討議を行う若手研究者に対して交付している。現在では、大学院博士後期課程に在学する院生にまで枠を拡大し、より若手の研究者に対しても助成の手を拡げている。■設立時から連綿と続く基幹事業 本章では、財団設立から現在までの60年間の軽金属奨学会の変遷を、社会事象やアルミ産業界の動きとともに年代順に追いかけていきたい。その中で、財団の成長過程や飛躍の様子なども記録していこうと考えている。まずは今いちど財団創設時まで戻り、前章までで書き漏らした出来事なども取り上げていくことにする。◇ 1955年(昭和30年)、財団法人軽金属奨学会が認可された同じ年、国内ではアルミ1円硬貨が発行された。アルミニウムという言葉を耳にした時、日本人の頭に真っ先に浮かぶのは、この長寿硬貨ではないだろうか。 1950年(昭和25年)に始まった朝鮮戦争による特需により日本経済は急成長を続け、生活は徐々に豊かさを取り戻していった。アルミニウムはこの頃、建材、船舶、車両などの分野で需要を伸ばし、この年には日本ダイカスト工業会が設立されるなど、業界団体による用途開拓や技術開発なども、積極的に行われるようになっていた。 このような時代背景の中、軽金属奨学会は産声を上げ、事業運営をスタートさせた。財団設立初年度は、事業費73万円からのスタートであったが、正味財産額はこの当時、国内有数の財団であった。 財団スタートのこの年から現在まで連綿と続いている基幹事業に教育研究資金と研究補助金がある。教育研究資金は、原則として軽金属に関する学科目を教授している大学・大学院の研究室、または軽金属に関する研究機関の研究室に対して、現在一人当たり年間25万円の研究資金を交付している。 もう一方の研究補助金は、大学、短大、高専な

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