公益財団法人 軽金属奨学会 設立60年史
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19第1章 財団設立の経緯という北野の言葉は、もっともなことであった。 折衝を終え、夜行列車に飛び乗って再び大阪へととんぼ返りした上谷は、翌日には折衝の結果を小山田社長に報告した。予想していた通り、財団名称の変更について小山田は、何のこだわりも持っていなかった。「スピード認可が第一の目的だから、違う名前でもいいよ。上谷君、何かいい案はないかね」 上谷は、帰りの車中で考えていたいくつかの別候補案を伝えた。メモ書きの中で小山田が一番気に入ったのは、「軽金属奨学会」という名称だった。業界の団体として軽金属協会があるのだから、“軽金属”という固有名詞は、すでに社会的にも認知されている。「軽金属なら、範囲も広いし名前の通りもいい。上谷君、これにしよう」と小山田は即決した。 あとは、経営学の助成という一文をどうするかという問題だけが残されたわけで、上谷は小山田に、Bilngerとの調整をするように命じられた。非常勤役員だったBilngerを数日後につかまえることができた上谷は、さっそく文部省の意向を伝えた。スピード設立が社長方針でもあるし、誠意を尽くしてお願いすれば、なんとかなるだろうと思っていた上谷だが、予想以上にBilngerの反応はかたくなだった。あくまで、「経営学の助成」という事業目的を定款に記載することに固執するのである。 Bilngerは極東駐在が長く、日本語が堪能で和文も読めるようなインテリジェンスのある紳士であったが、この時ばかりは頑として首を縦に振ろうとはしなかった。根負けした上谷は、再度文部省との折衝役を背負わされて東京へと向かった。 財団設立のための定款づくりは、文部省との折衝を重ねて着々と前進していった。しかしBilngerが固執した「経営学の助成」については、双方の意見は折り合いを見せず、財団設立のタイ為な財団があることを知っていたので、将来的にはそういう事業もやるべきだと定款の変更に固執したのであった。■定款づくりで難航 上谷は役員会で指示された内容を盛り込んで定款をつくり直し、北野事務官のもとへと持ち込んでみた。北野は定款の素案をばらばらとめくりながら、設立後の運営ができるだけ合理的にできるようにと、会計年度や役員の任期などについて、親身なアドバイスをしてくれた。 問題となったのは2点であった。ひとつは、「アルミニウム奨学会」という財団の名称。もうひとつは、Bilngerが固執した「経営学の助成」という事業目的であった。 財団名称については、「アルミニウムではちょっと範囲が狭すぎるし、いかがなものかという指摘が文部省内できっと出ると思います。別の名称案を考えておいてもらう方が無難だと思いますね」と北野もアドバイスをくれた。これは、小山田社長の承認さえもらえれば、対応できそうなので、上谷もそれほど心配はしていなかった。頭が痛かったのは、「経営学の助成」という一文をどう扱うかであった。 上谷は、役員のひとりがこの事業目的に強くこだわっており、あとに引きそうにない状況であることを率直に伝えた。また、海外ではそういう財団事例が多々あることも説明した。しかし、北野の反応は芳しくなかった。「とりあえず省内の会議にかけてみますが、これは問題になると思います。学術・研究分野での活動を主とする財団が、まだ設立されてもいないのに、いずれ経営学の分野にまで事業領域を広げると宣言するのは、時期尚早というそしりを免れないでしょう。スピード優先で財団設立を目指すなら、削除してもらうのが一番の近道だと思いますよ」

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